たくきよしみつ「日本のルールは間違いだらけ」要約1

講談社現代新書タイム。

日本のルールは間違いだらけ (講談社現代新書)

日本のルールは間違いだらけ (講談社現代新書)

第1章


筆順の矛盾(必要、不必要ではなく中国との書き順には相違がある)、
ローマ字ルールの矛盾(表記法に3種類あるのを知っていましたか?)、
常用漢字の選び方の矛盾にはじまり、JISが作った「存在しない漢字」たち。

社会保険庁文字コードを独自に新方式にし旧方式を削除してしまった。
これによるバグのせいで、5000万人(!)の年金手帳のデータがなくなったという事実。
官僚がそのような重大なミスをおかしていても、天下りはもちろんのこと税金から老後の贅沢を保証されるというこの国の「ルール」。



第3章

「わいせつ」というのは客観的に定義できない概念や情感。
それを法律で規定しようとするのは無理がある。
法律は具体的な被害、危害損害から守ることが目的。
映っている/映っていない、ひっかかる/ひっかからないの論争や裁判をするよりも、取り締まり、処罰すべきは具体的に人間を傷つける犯罪行為を取り締まるべきだということ。
実際に「被害者」がいるのか、心や身体を理不尽なかたちで支配され、傷ついた人たちがいるのかどうかこそを問題にすべき。



第5章


2003年に政権交代が起こり得た。選挙戦略の明らかな失敗によって6年間も先延ばしになった。


選挙期間中の選挙カーの騒音や電話での投票依頼は許されているのに、なぜか公職選挙法では選挙期間中のインターネット上で政治信念や指針、公約を掲示すると違反となる。
公職選挙法はつまり、お金をかけた者が勝つという選挙にしないために、むやみにお金をかけられないように規制するというのが目的だったはず。
なのに、資源の無駄も、音の暴力も無いインターネットを排除するのは手段を目的化してしまっているのでは?


不正な集計操作が行われたり、投票箱が消えたりしないだけ日本はマシな選挙が行われているだろうか?1票の不平等問題は、国民の平等原理=憲法違反ではないか?
「あなたの一票の価値は?」
http://www.ippyo.org



裁判員制度は「国民の感覚が裁判の内容に反映されることになり、国民の司法への参加が大きく進む」ことに目的があるとされている。
しかし、裁判員制度で取り上げられる裁判は殺人や強盗致死などの犯罪。
つまり、誰が見ても悪いに決まっているようなもので犯罪の無いように関する善悪、正邪を問うようなものではない。
つまり、審理の対象は犯罪行為が「あったかどうか」またはあったとすればどのような量刑がふさわしいかということになる。
それを犯罪捜査素人の一般人にやらせるのは無理だ。
有罪か無罪かを決められないし、「国民の感覚」など反映してはいけないのでは?
裁判員制度とはつまり、死刑がありうる裁判で、「国民の感覚」を反映し、誤審があった場合に検察や司法が弁明しやすいようにつくられた「安全装置」なのではないか?


本当に「国民の感覚」を反映させたいのであれば、対象事件は政治家や公務員の汚職事件、法律の違憲性を問う裁判、公害裁判、公共事業の中止撤回裁判などの社会性、公共性の高いものにするべきではないか。



「義務である」「ルールでそうなっている」と言われると逆らえない、諦めてしまうという日本人の従順さを良く知っている権力者、政治家たち。
メディアは国民の感覚がどの程度のもので、どう訴えればどう反応するかを知っていて、知った上でそれを利用している。





ーーーこれらの事実は興味深い。おもしろい。だけれど、実際自分が「被害者」だと実感していないと、怒りをあらわにできない部分がある。


正直に言えばかなり多くの人の年金データがなくなったとしても、24歳のわたしにはその重大さへの実感がないし、官僚が天下りをしていようが、私たちの税金を無駄遣いしていようが、納税の負担はまったく大変だなというぐらいで、その後どう使われていようが実際痛みは感じない。
わいせつの基準がどうこうだってあんまり関係ないとか思うかもしれない。
けれど問題はそこじゃない。


私が本を読んでいて思うこと、そして最近読んだ講談社現代新書3冊に共通することは、メディアが知りたいことを教えてくれないということだ。
後からこうだこうだというのは、つまりどうにもできないんだから、現状をなるべく早く知ることで対処していかないとどうしようもない。


だから、誠実かつリアルタイムの情報媒体を見つけないことには解決しない。
面白いことを言っている人たちにもっと注目しよう。
次はそれらを見つけることから。
誠実な情報媒体に耳を傾けよう。