温度差

何が引っかかるんだろう。
ものすごい温度差。

べつになにも期待しちゃいない。
勝手に押し付けだと思って切れたり、私は何もできないと言い切れちゃうんだ。びっくり。

地震のニュース見るのやめる?信じられないと思った。
はっきり言って。
なんかこう、コミュニティ力が弱いんだよね、日本。
パッと言って、パッと動けない。
原子炉冷却の話もそうだけど、上だの下だのの連帯も。

オッケー、ニュースを見る、見ないは自由だ。
けどポジティブシンキングしたいから?違うよ、それは単なる思考停止だ。

私には何もできないってなんで決め付けちゃうんだろう?
物資支援ができなくても、募金ができなくても、まだまだできることはたくさんある。
クリエイティブになること。
自分で、自分から、どこからでもムーブメントは作り出せる。
特にインターネットがある今、あるいみみんなチャンスはイコールなんだ。

話が少しそれるけれど、
日本で社会人というのはつまり働いている人=会社かだれかに雇用されている状態というのがベーシックな見解で、それで納税ちゃんとしていれば社会責任果たしているみたいな風潮
がある。
わたしはそれはぜんぜん違うと思う。

今私が日本の外にいるからとかは関係ない。(わたしもこっちで仕事はしてるし)まあ日本一般社会の目から見て、「普通じゃない」生き方をしているのは認めるけれど、だからって見下される筋合いもない。
日本にいるときよりもずっと社会的責任を感じているし、果たすために努力しているし、もっと世界的に考えてる。日本という国も世界の一部として愛している。

日本が恋しい?とよく聞かれるけれど、逆だった。
私はイギリスから帰ってきてからずっと、こういう社会や地域のコミュニティーのもつパワーが恋しかった。
日本にいて、いつももてあましてた。
ここには、生活の喜びがあって、戦いがある。

地震の後、真っ先に行動にでたのは日本に住むイギリス人の私の友人。

彼に触発されて、オンラインでできることをたくさん探して、いろんなメディアで呼びかけた。
こういうとき、何年も連絡取ってなかった同級生なんかがさらっと協力を申し出てくれたりなんかして、やっぱり人の力ってすごいなと感じた。


リビアのこともそうだけれど、よりよい世界を目指すっていうのが人類共通の目標で、そのために知ることは大切なこと。
知るのを努力することから逃げることこそ、社会責任から逃げていないか?負けなんじゃないか?
知るからこそ、私たちは行動できるんじゃないか?