「越境者的ニッポン」に見る作家の姿勢

越境者的ニッポン (講談社現代新書)

越境者的ニッポン (講談社現代新書)

偏狭な愛国心、不毛な教育論議、愚かなマスコミ、不可解な法意識……だから日本人は世界で笑われる! 外側から見たこの国の今を在豪の博奕打ちが痛快にえぐった話題の名コラム集。


この著書をどこかの雑誌で見たような気がする、
COURRiERだったか、覚えていない。
でもとにかく今日から読み始めた。


私の海外で経験したこと、その後の日本感を代弁してくれるのを期待して。
海外旅行をすると、「広い世界を見た」というようなこ気になるけれど、具体的にそれがなんなのかを説明していくのは、なかなかパッとできない部分もある。
わたしの場合はかなりのマイナス面を今回の旅でも気がついたわけだけれど、
その点はあげられても何が問題の根源かというところはやっぱり、頭の良い人の分析に頼ってみる。


作者の、海外生活をとおして、入ってきた日本のニュース。
つまり越境者としての自分から見た日本の姿。
やはり共感できる部分というか、私も思ってた!というような指摘が多い。


でも多分(村上春樹の)誠実な文体のあとにこの著者のを読んだためか、アレルギー反応がでそうだった。
彼は自分のことをチューサン階級と繰り返す。
本当に何度も繰り返す。
中産階級ではなく、チューサン、つまり中学三年生レベルのわたしという意味で使っているのだけど、これがはっきりいってうっとうしい。


へりくだっているつもりなのかもしれないけれど、その言葉の裏には、おれは高校教育もロクにうけてないような学歴しかないけど、そのかわり英語は並み以上にはしゃべることができるし、日本を俯瞰してみることができる目ももっている、どうだすごいだろ。
賭博はやるし10代のころからセックス・ドラッグ・ロックンロールの生活を続けてきたアウトローなんだぜ、その俺が言うんだ。
という姿勢がぷんぷんと臭ってくる。


村上春樹は自分の仕事のことについてアンダーグラウンドでこう語っている。


これまで私は、自分は生意気で身勝手なところはあるにせよ、決して高慢な人間ではないと考えてきた。しかし「自分の置かれている立場は、好むと好まざるにかかわらず、発生的にある種の高慢さを含んでいるものなのだ」という基本認識をより明確に持つべきだったと、今では反省している。


こう村上春樹のことばかり書いていると、村上信者のように思われそうだけれど、わたしはこの文章に彼の作家としての誠実さを見た。


大学まで卒業して駅前留学しなければならない日本という国という文では、つまり英会話教室に通っている人たちをバカにしているし、海外留学しても英会話のろくにできない首相を嘆く文でも、自分がそれ抜きで英会話ができるようになったことを自慢している風にしかとれなかった。


こんなレベルの文章で本を出すなんてという気持ち。
はじめてこの手の文庫本を手に取ったけれど、本当に今、誰でも本が出せるんじゃないかと思った。
こういう文句見たいな文章も、わたしのブログを読んでいる人が少ないからこそ書ける。これは私の個人的な意見でどこへも行かないら。
でも文章でお金をもらっている人は、責任があると思うし人を傷つけてはいけないと思う。
この作家さんは兼業だけれど(本業は賭博)、だからといってなんでも書いて良いわけじゃない気がする。
なんにせよ読み切ってみようとは思っているけれど。