本屋、図書館と街


久しぶりの三島図書館。


地下の立体駐車場(整理番号式)がいまいち面倒くさくて嫌煙しがちなのだけど、行くたびに来て良かったなと思う図書館。


この静岡県沼津市での図書のお粗末さには本当に辟易する。
名古屋に住み始めた時に一番最初に自分(の育った環境)を呪ったのは、自分が発注してまで購入していたCDがとても身近に手に入ること。洋楽CDのバラエティ。ここでは歴史の目撃者になれるってこと。
それがわたしの18年間住んでいた街では気が付けもしないということ。
そして気がつかなくても世界は進んでいってしまうということ。
私が普通に暮らして来た街はそんなリアルなムーブメントから置き去りにされていたのにそれに気がつかなかったなんて!


たくさんの映画、私の住んできた街では到底目にすることができないような、インディペンデント作品たち。
たくさんの雑誌、本。
当たり前に存在する数々の専門誌。
刺激、刺激、刺激。
無限とも思われる知識欲の追求。
話が飛躍してしまった。とにかく本だ。



東京に行くたびに、名古屋でも、海外でも、私は本屋に行く。
私が18年過ごした街の本屋は、私にとって輝きを失った過去の場所になってしまった。


本と恋に落ちる。
新しい恋人たち。
本棚、そのすべてがまだ知らないことで埋め尽くされている充実感、それを手に入れたいという支配欲、最高の恍惚。
4時間でも5時間でも立ち読みする。
私が読みたいと思える本に数えきれないほどに、両手一杯にできるほどに出逢える場所。


本屋は街をつくる。
若者を育てる。
本ではなく、「本屋」が、だ。
「本屋」には責任があるのだ。
「図書館」にも責任があるのだ。


私は素敵な本屋のある街に住みたい。
素敵な図書館のある街に住みたい。
人生にいつまでも恋をするために。


三島図書館は新着図書を絶え間なく仕入れている(しかも多様なジャンルから)、
私を再び本と恋に落とす、数少ない場所だ。