とりあえず、節分

テレビを見たら、茂木健一郎が出ていて、はじめてしゃべっている姿を見た。
脳科学者として認識したのははじめて。


そんな茂木さんが、日記は次の日につけると良い、と言っていたので、わたしもそれにならって1日前を整頓しながら書いて行こうと思う。


今日は始発で帰ろうと思っていたのが7:30に目覚める。
出勤支度している同居人を尻目に高円寺駅へ急ぐ。
電車の中で、高橋歩の本を読んだり、眠ったり。
移動時間は考え事せずにほとんど眠ってしまったな、下土狩駅で降りて、4ヶ月ぶりの長泉図書館。


興味が刺激される本がたくさんあって、わくわくした、
あぁー東京で図書館行っていないな、ちゃんと図書カード作って、本を読みたいな。
時間が限られていたので、軽めの本を読む。


けしごむハンコの本にちょっと心躍る。ていねいに生きていくヒントがあった。
その後、まど・みちおの100歳詩集を手に取る。
ダジャレやことば遊びが多い詩集なのだけど、強く生命力の感じる言葉も多かった。
自分のいのちが閉じていくことを悟った上での言葉とか、生きてきたからこそそぎ落とされてったのだろう、シンプルな表現とか。
あの歳でもまだ、ことばを操れる老人。
ことばが好きだな、わたしも。


節分祭に参加しに三嶋大社へ。
もっと今日をうまく過ごせたはずなのだろうけど、計画が甘いのが悪いところで、
ほんとうは年女だから豆まく側をやりたかったのだけど、キャッチ側にまわっての参加。
行事や、季節を感じながら丁寧に暮らすのも、もっともっとしっかりこなしたいのになぁ、気が散っているな。
完璧ということばも固い気がするけれど、完璧にやりたいって思う。


今月は高橋歩の言葉を刻むのでおみくじはひかずに、ごはん処をさがして三嶋をうろうろ。
しばらく歩き回るも、結局見つからず、以前から気になっていた裾野のお店まで車で移動して、3時過ぎのランチ。
おばさまが一人で経営しているシフォンケーキと日替わりランチのおみせ。
「お店をやりたい」がお店になったようなお店。
都会の飲食店は、コンセプト・主張がはっきりしているから、どこもスマートだ。
東京にいるとき並に、開かれた目で静岡に戻ってきても、やっぱり心躍る場所に出逢うのに労力が必要。
それが違いなんだ。
+になる刺激が少ない。経験だったり、反面教師は自分の足次第でいっぱい得られるけど。


ランチの後は御殿場まで足を延ばして、ティータイム。
「ありがちだけど、この辺にはないお店」がしっくり来たな。
御殿場には、居場所があるのに、まだまだ沼津ではぜんぜんない。
自分がつくるしかないのか??


早めに解散して、帰宅。
豆まき。なんだか薄まったような気持ち。
特に自分を刺激せず眠りにつく。
今日解ったことは、わたしは東京にいたいんだ、ってこと。