「友達がいない」??

最近よく思い出すこと
「友達がいない」と言う私の友人の言葉。
一人だけではなくてじつは私の友達の何人かはこの言葉を口にする。
彼らの言葉の裏には「あなたは数少ない私の友達のひとりなんだよ、特別な存在なんだよ」という意味が込められているのだろうけど、その度に私はなんだか絶望的な気分になる。


彼/彼女らの悲観的な友人感にだ。
実際そうだとして、なんなのだろう?
と思っていた。
それを私に言ってどういうつもりなのかな、と思っていた。


私がなぜその言葉を思い出すのか。
今、私がなんとなくそう感じているからだ。
私の場合は「適当な」という前置きがつくけれど。
彼/彼女らの言葉の前にもついているのだろうけど。


先日名古屋で友人に会っている時、私に会いたいと言っている同級生の話を聞いて、少し嬉しかった。
「きゅうは在り来たりなこと言わないからきゅうに相談したいって言ってたよ」
彼女は感じ取っていたんだ。


私にとって、よい友人関係ってなんなのか。
この3ヶ月でたくさん友達ができて、ほんとにクールな友達たちで。
わたしは人に合わせたり、態度変えたりしないから気疲れ無用で生きてきたけど、
もっともっとクールな関係を知ってしまった。
自分のことをもっと話せて、正直でいられて、楽しいことはもちろん、怒りも悲しみも共有できるような。


友人を知識や経験で測って、魅力的かどうかということじゃない。
私にとって一番大切なのは共有することなんだ。
人間くさく、関わり合っていくことなんだ。
クールな関係をつくる、とっておきの鍵を発見したんだ。
とくに日本に帰ってきてからそれが難しい。
頭を冷やして自分に正直であるか?を考えると、同時に相手を傷つけないか考えている自分がいる。
それに踏み出したぶん、期待している(自然なことだと思う)自分もいて、結果がっかりする。



ここじゃない、って思っている今は「日本」ってくくっちゃうけど、習慣/慣習の意味での私がいる日本社会は、私には今くそくらえで、面白くない。


先に述べた友人たちの言葉、そのとき私が感じていたのと一緒で、答えはきっと「努力が足りない」とか
「見つけられてないだけ、これから変わる」なのだろう。
きっと見つかる、見つけるんだ。
変えていってやるんだ。
私には友達が(本当は)いるんだから。